江戸時代後期に炭鉱で財をなしたという藤本傳吾の屋敷跡。のち三池藩に没収されるが、一時は長崎あたりで豪遊したという。 炭層の上に広がる米の山層。よく調べれば貝の化石などが発見されることもある。 藤本伝吾有恒の顕彰碑の碑文。 よく見ると「芸洲」にあたる文字が見え、○○丸など船主と思われる名前がならび、石炭が当時瀬戸内海で行われていた塩田で使われていたことをうかがわせる。 その2に続きます。
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