大牟田・荒尾 net街おこし意見交換会

2000年10月22日

*本文は、net大牟田・荒尾がんばろう会会員がMLでやりとりした内容を前川氏がまとめたものです。
同氏のご厚意で氏のHPに掲載していたものをご提供いただきました。


(まえかわ)
 先日、地域やまちづくりを仕事としている建築士の鵜飼さんという方とお話しする機会がありました。

 私たちが運動している「炭鉱施設を近代化遺産として残そう合同キャンペーン」について、今のままでは他力本願的なところで終わってしまっているように思えるので、これをさらに一歩二歩進めて、何か具体的な攻めの運動が出来ないか、そのためにはどんな方法があるか等を尋ねてみました。

 その中で、例えば、炭鉱施設保存のための基金づくりとか、市民グループづくりなど、そのためには本格的に事務局を開設すべきだ等の考えを聞きました。

 皆さんはどう思われるでしょうか。意見を聞かせて下さい。


(鵜飼)

 先日前川さんとお会いできて、いろいろとお話を伺えて本当にうれしく思いました。ネット上ではいろいろわからない面もありましたが、実際にお会いすることで状況が少し見えてきたような気がします。

 三池炭鉱については、様々な人々のいろいろな思いがあるかと思いますが、それらの思いの共通点を統合して、未来へ「風景」を伝える一つの運動を興していけたらと思います。

 今後の活動としては、事務局設立のシナリオづくりに向けてのさらなる情報収集ができればと思っています。皆様のご意見・お力が是非必要となると思いますので、今後とも宜しくお願い申し上げます。


(Kirara)

 この意見は昨年最初に私が提案した事でもありますよね!

 残すのは大変良い考えですが、要は大牟田や近隣の街が残すことにより、結果的に経済的効果をも、もたらすかどうかもひとつの重要なことだと思います。

鵜飼さんの研究成果ではどんな結果が出たのでしょうか?それも知りたいですね。


(池田)

 「炭鉱施設を近代化遺産として残そう」との呼びかけを、攻めの活動として展開していくことについての意見を、とのことですが、その思いにかなり共感を抱いています。

 しかしながら、実際に活動を展開していくとなると、生半可なことではすまないのは当然のことです。

 ○具体的にどんな施設を遺産とみなすのか、

 ○大牟田・荒尾の町のアイデンティティーを考えるうえで、炭鉱のことは

  欠かすことのできないものだとはいえ、これからの町づくり計画の中で

  どのような提言ができるのか、

 ○事務局を設置して、展開していくとなれば、対外的な誤解を招かないた

  めに、会計上の問題もはっきりしていかなくてならないし、そのような世話人がいるのか

等といったことが考えられます。だからと言って、否定的な気分になって、最初からあきらめてしまっては何事も進みませんが・・・。

 もし、前川さんなりの活動のイメージをお持ちであれば、ホームページで提案されてみれば、いかがですか。そしてメーリングリストをつくり、できるだけ多くの人の意見を聞き、広く論議を進めていくのが先決だと思います。

 まず事務局設置と「攻め」の活動をするまえに、この場合は意見の交流を重ねていくことができれば、と思います。

 そしてさしあたり、写真資料の保存などの収集を呼びかけていくことなどから始めたほうがいいかな、とも思います。

 具体的に保存するべき施設などもう少し、活動のイメージを教えてください。


(G3)

 「炭鉱施設を近代化遺産として残そう合同キャンペーン」ですが、地元・大牟田ではそういう雰囲気は余り感じません。できるなら役所の尻を叩くような動きがあればいいと思いますね。抽象的ですけど。


(河村)

 ・署名活動をする。(活動による一般に対する問題意識の提示にもなる)

 ・応援団をつくる。(具体的には議員さんになります。ここのところが大変な所で、できれば超党派にしたいのですが、どうしても偏ります)

 ・メディアの理解を得る。(大変有効です。)

 ・シンポジウム、講演会等を主催する。(広報活動の一環)等が考えられます。

 前川さんの活動には、私もできることから協力していきたいと思います。

 なかなか大変だなと感じるのは、対象地域が大牟田市と荒尾市にまたがっていること、ひいては福岡県と熊本県にまたがっているということは、行政を相手にすることを考えるとなかなか大変だと思います。国も文化庁あたりが所管するのでしょうが、一定の理解を示してもなかなか力のない役所でもあります。

 私が仕事で通っている鎌倉は古都保存条例を制定したりして、なかなか厳しい所です。単純に保存しようと呼びかけるより、具体的に「炭鉱遺産保存条例」案などを作成して大牟田市の条例化を呼びかけた方が説得力があるかもしれません。


(照間)

 私、現在大学院(文学部)生で、研究テーマは「三池炭鉱閉山後の大牟田の文化的ムーブメント」ということに固まりつつあり、この「がんばろう会」とともにそのムーブメントの行為者であり同時に調査者であるという立場をとろうかと考えております。

 大牟田・荒尾地区の現状は、再開発の名のもとに「本物の」近代遺産がどんどん無くなっていっているのが現状です。当然、私を含め、無くなっていることを個人レベルでは胸を痛めて傍観している市民はいても、それを保存運動というかたちでの行動に移す人はあまりいないというのが現状でしょう。

 市も現場レベルの方々(石炭館や教委の担当者)も、個人的意見は何とか文化遺産として遺したいという意識はあるようなのですが、どうもそれが役所の上のほうには届かないようです。

 この地域に関心のある人々が本気で「遺そう」という意識にならないと、結果としては何も変わらないだろうと予測しています。

 それでは、市民とその賛同者に「炭鉱の街」を自らのアイデンティティとして持ちうるにはどうしたら良いのか、まだまだ私も模索中なのですが、いくつか考えてみました。

1 事務局の設置

  まずは活動の中核となる事務局は必須だと思われます。若輩者の私がその代表者にとまでは参りませんが現地の者としてやれることはあると思います。

  特に、調査研究関係で、数人の元炭鉱労働者と、数人の文化行政担当者とは知り合いですので、何らかのことが出来るのではないかと思われます。

2 「炭鉱」=「暗い」というイメージの払拭(その一例としての演劇活動)

  炭鉱爆発事故や三池争議の時のイメージがあまりにも強いのか、「炭鉱」=「暗い」の図式がはびこっているように感じます。しかし、「この地域にこういうことがあった。それでも人々はたくましく、そして強くやさしく生きてきた」という風なイメージが定着すればと思います。そういうイメージならば、個々人のこの地域のアイデンティティになり得ると思うのです。

  個人的には「ひびきの石」はその線をねらっておりました。

  演劇活動はひとつの大きな起爆剤になるかと思います(当然ながらマスコミや市当局も注目します)。

  もし事務局を設置するならば、こうした演劇の主催・誘致・行政との折衝、スポンサー等が事務局の活動となるでしょう。

  「ひびきの石」大牟田一般公演は未実現ですので、これは有効かと思われます。

3 河村さんの意見3.のようにメディアの理解・共感を得ることはその起爆剤として大変有効な方法だと思われます。

4 石炭館・旅行社とのタイアップ

  近代遺産としての炭鉱の文化的な中核施設は石炭産業科学館だと思います。

  そこで例えば、事務局と石炭館がタイアップして、東京発の「大牟田荒尾(あるいは八幡などを含めて九州)近代化遺産ツアー」を催行したりという活動もひとつの方法かと思われます。
  また、石炭館や行政主宰の学術・市民講演会を事務局がサポートするといったことも当然必要でしょう。

    
5 市民運動としての史跡保存運動

  市民意識の向上、あるいはこの地域を知ってくださる方のサポートがあってはじめて「炭鉱施設を保存しよう」という運動が市民運動として、あるいは町おこしとして議会や行政を動かしていくものと思われます。

  また、残念ですが、現存する炭鉱施設もかなり少なくなっています。使用した道具類、さらには(私が閉山前に集めたような)労働者の「声」や思い出の中に眠る「炭鉱のあった風景」としての写真や絵画、文学などというのも充分に文化遺産になりうると思われ、施設だけではなく、そうした「人間」にスポットをあてることもこれからは重要になってくると思われます。

 以上、長々と書き連ねましたが、一意見としてお聞き下さい。


(鵜飼)

 大変沢山のご意見が集まったことに驚いております。いろいろとご意見いただ

きましたが、もう少し私の考えを説明させて下さい。

■産業遺産について

 大牟田・荒尾の産業遺産はほっといていても残ると思います。国が文化財に指定したからに他なりません。宮浦は公園としてすでにありますし宮原坑、万田坑は文化財として後世に伝えられてゆくものと思われます。

 しかし、これで本当によいのでしょうか。

 私はあるきっかけで3泊4日大牟田市内に泊まり込み、初日はレンタサイクルで、2日目はバスで、3日目はレンタカーで大牟田という「まち」を巡ってみました。

 もちろん産業遺産の案内パンフレットを片手に。そこで受けた衝撃は今でも忘れられません。まちに残された様々な「シーン」を目にする毎に、そこに生きた人々のエネルギーがひしひしと伝わってきました。「これが日本を支えたまちなんだ」という実感がこみ上げてきました。しかしながら同時に驚いたのは、それら施設はマップには載っているけれども、現地には案内板一つ無いこと。そして、放置されて崩壊しつつあることでした。後日、市の関係者にお聴きしましたが、

企業城下町という性格上、企業に対して問題となるようなことは、誰も言わないし、歴史に触れられたくないと。

 このような状況の中で、果たして遺産として残された施設達は活かされるのでしょうか。私は、日本を築いた都市、人々に対してあまりにもむなしすぎる待遇だと思います。せめて皆に愛されながら地域とともにいきる施設となるべきだと思います。私はこれから興ることが、大牟田・荒尾の内外を問わず、人々の価値観を転換するきっかけになればと考えています。

■事務局の設置について

 みなさんおっしゃるように徐々に環を広げていくのもよいかと思います。しかしながら、これだけ情報化が進み、日々新しいことが起こりつつある状況の中では、先手を打って、実体としての事務局が設置し、とりあえずの運営や議論はネット上で行うということで、対外的にアピールでき、周囲も無視できなくなる存在となるのではないかと考えるからです。事務局を当地に置くことが、最もインパクトがあると思いますが、任意の団体活動としてふた月に1回とかのペースで現地にてフォーラムを開くというのでもよいかと思います。

■保存すべき施設

 前述したように、文化遺産としての登録がされた施設はその存在が保証されたと考えてよいかと思います。私が個人的に考えているのは、「炭鉱電車のルート」です。ご存じのように炭鉱電車のルートは各炭坑をつないで市内をリング状に巡っています。それらを仮にバスで一つ一つ巡ったらどうでしょうか。同じような施設を断片的に何度も見て感動するでしょうか?私の体験からもお分かりのように、これらの炭坑施設を断片的に見てもそのエネルギーは伝わってきません。自らが巡り、そのレイヤを重ね、海あり町あり谷あり、川を渡り・・・そういったまちのシークエンスのなかで展開されることではじめてその価値を体験できるものだと思います。これは都市の中でも異様な存在です。また、大牟田・荒尾という都市の骨格であったことも歴史を見れば明らかです。私はこのリングが大牟田・荒尾の「アイデンティティ」としてのポテンシャルがもっとも高いものと考えます。これを活かしてこそ文化遺産と指定された施設も活きるのではないでしょうか。例えば、一坪10万円で買い取っていくというのはどうでしょう。仮に長さ10km幅6mとして約1万8千坪ですから18億円が必要となりますが。大牟田+荒尾の人口よりも少ない18万人で一人1万円ずつの出資で実現します。

■産業とのリンク

 これからは地域が主体となる時代です。地域自らが考え、資源的・経済的循環を形成していく時代になります。地域の資源を活かし、ビジネスとしていく。そして、それが連鎖反応的に様々な地域ビジネス(コミュニティビジネス)の生成につながっていくものと考えます。まちのアイデンティティは、何かをはじめようとするときのよりどころとして存在し、かつそれらのビジネスの根幹に存在するものはいつも地域のアイデンティティなのです。最初にこんなことを言うのは、地域とビジネスが一体となることが重要だからです。一体となることで、地域のアイデンティティが保持されるのです。一番恐ろしいのは地域のアイデンティティを失うことです。20世紀型の考えやバブル時代の考えをを繰り返すことでは、地域のアイデンティティを失いかねません。そうなってしまったら大牟田・荒尾は何の魅力もない寂しいまちとなってしまうのではないでしょうか。

 環境ビジネスが盛んです。ITビジネスも盛んです。これらのグローバルな展開を、まちのアイデンティティとリンクさせ、知恵の創出、価値観の転換を図り、独自なビジネスを展開していくことでまちは生きてくるのではないでしょうか。ただし小さな規模でコミュニティビジネスとして市民にわかりやすく親しみのある存在となるべきです。Think globaly Act localyで。

 ただ、これらの活動をするとき忘れてはならないのは、我々は地球というエコシステムの中に生きている生物であるという自覚です。この自覚を持つことにより、また新たな価値観に基づく環境ビジネスも生まれるかもしれません。「もったいない精神」に則って地域の資源を新たな価値観で捉え活かしていくことで、資源的・経済的循環を有し、財政的・エネルギーにも負担をかけない地域が成立すると思います。これが21世紀の地域像です。

■終わりに

 私は全くのよそ者です。しかしながら、大牟田・荒尾での体験は、一生忘れることのできないものですし、日本国民にもその存在を忘れて欲しくないと思っています。みなさん様々なお立場、関係、様々な思い、価値観があるでしょうが、大牟田・荒尾のまちがいつまでもいきいきとしていて欲しいと言う思いは同じだと思います。この一つのビジョンに向かって、みなさんそれぞれの思いが叶うような活動が生まれればと思います。Win−Winの考えで。


(李徴)

 私は都市計画を研究している者です。

 事務局設置については賛成です。今年はじめには、大牟田市と全国の産業遺産写真展が開かれましたし、昨年は産業遺産についてのシンポジウムも行なわれてます。どちらも主催は大牟田市職員有志の研究会でした。けれども、こういった活動は行政とは切り離された組織の方が動きやすいのではないでしょうか。

 確かにまずは任意の団体としてでも、実体をつくるのが先決のように感じます。ネット上で運営、議論というのも、大牟田・荒尾出身者が多く域外に流出していることと、対外的なインパクトや運動の広がりの可能性を考えると、妥当に思われます。

 炭鉱電車のルートの買い取りというのは、面白い提案だと思いました。運動としての目標が明確であることや、普段あまり意識しないものを意識させるという点で、PR効果としては高いように思います。ただ、すぐに他に買い手がつき、売却処分されるような物件では無いですし、現在も一部利用がなされていますから、あまり急ぐ必要は無いのではないでしょうか。ですから、長期的な目標であれば、活動のシンボルとして格好の対象に思えます。

 むしろ今失われつつあるものや、中短期的に失われる可能性のあるものをどうするのか、どれを、どのように残していくのかというのが、課題ではないでしょうか。宮浦、宮原、万田以外は残せるのか、残さなくていいのか、というのは当然の疑問でしょう。

 産業遺産の残し方についてですが、私は炭鉱とそれに関連する施設に対して、市民の多くが否定的なイメージを抱いているように思っていました。また、大切に思っていても、あまりにも思い入れが強すぎるように感じていました。

 ですから過去を歴史として冷静に、もうすこし客観的に捉えられるようにならない限り、炭鉱施設の保存活用とそれを活かしたまちづくりというのは、内発的には難しいのでは無いかと考えていました。

 しかし、鵜飼さんのような全くの外部の人の視点で捉え直すことができれば、市民の炭鉱に対する意識も変化してくるのでは無いかと期待しています。

 ところで、議論を拝見していると、具体的にどのような活動を行なうのかという点で、メンバーの方の「役所の尻を叩く」という言葉に端的に現れているように、どこか最終的に市役所などに頼る姿勢が見られます。

 「攻めの運動」のためには、自分達で買い取って残す(ナショナルトラストみたいに)とか、自分達で環境整備を行なう(くさっぱら公園みたいに)とか、石炭館に負けないような電子的なアーカイブをWeb上に展開するとか、そんなことは出来ないでしょうか。

 ところで、事務局の場所を使った活動としては、どのようなものを想定していらっしゃるのでしょうか?

 当面は、外部からの郵便や電話での問い合わせに対する応対、資料の保管などが思い付くのですが、その程度であれば電話での応対を除けば私の職場程度でも出来そうに思われます。その他、どのようなことができるか分かりませんが、私にできることであれば、ぜひ協力したいと思います。