潜塚古墳 |
国指定史跡(昭和52(1977)年2月17日指定)
多くの副葬品が出土した古墳 |
1.概要 |
2.現在残されている遺構 |
墳丘墳頂部や墳裾部は削られているが、本来は直径約30m、高さ約7mほどの円墳と考えられている。墳丘の表面に埴輪や葺石などは無かったという。 |
墳丘からの眺望 古墳は高台に位置しているため、墳丘の上に立つと、街並を見渡すことができ、特に南方向の諏訪川流域に開けている。西方向には延命配水池が見えるが、その足下には宅ヶ峰古墳があった。また東方向には権現山古墳を見ることができる。
|
宮原坑竪坑櫓 |
万田坑竪坑櫓 |
3.潜塚古墳についての詳細 |
3.1 発掘調査昭和34(1954)年に初めて主体部を中心とした調査が行われた。正式な学術調査としては、大牟田市では初めてのことであったという。 また近年では、平成13(2001)年3月に範囲確認のための調査が行われた。
3.2 古墳の主体部主体部は組合せ式箱式石棺が2基、墳頂部に直葬されていた。石棺は二つは並列して置かれ、ほぼ南北方向に向いていた。箱式石棺とは、平らな板石を組み合わせて箱形に作ったもの。九州では弥生時代以来の伝統的な埋葬方法であるとされる。 一号棺の被葬者は壮年男子で、頭を北側にて仰向けで両足を伸ばした状態で埋葬されていた。
3.3 副葬品 発掘調査を行った際に、多くの副葬品が確認された。
「神人龍虎画像鏡」には神仙や龍虎が配置されており、「長江下流域の浙江省北部の海岸地域で集中して発見される呉系の鏡」である。
これらの出土品は、大牟田市歴史資料館に展示されている。
3.4 築造年代潜塚古墳は「九州における古式古墳の南限地域の地域の古墳のひとつ」だとされている。 説明板によると「石棺の様式及び銅鏃の出土」などから見て、「四世紀後半における畿内様式の古墳」だという。しかしに近年の研究によると、築造された時期4世紀前半のかなり古い年代まで遡るという*1。 なお大牟田市内において、確認された中では最古の古墳である。 *1 坂井(2002) |
潜塚古墳に関するデータ |
一号棺 | 二号棺 | ||
石棺 | 種類 | 箱式石棺 | 箱式石棺 |
大きさ | 長1m70cm, 幅40cm, 高50cm | 長1m80cm, 幅40cm, 高35cm 一端に長30cmの小副室がつく | |
素材 | 阿蘇系溶結凝灰岩*1の一枚石で構成 | 砂岩の一枚石で構成 床石をもつ | |
状態 | 周囲は栗石で長方形に固めてある。 | 風化がはげしく欠損個所が多い。 | |
蓋石は周縁部を残して窪めてある。また蓋石の内外と棺内には全面に鉄丹(赤色顔料)が塗布されていた。 | |||
被葬者 | 壮年男子(仰臥伸展葬) | − | |
出土品 | 棺内 |
神人龍虎画像鏡 1面
碧玉製管玉 2個 | 内行花文鏡片(二孔あり) 1面 |
棺外 |
鉄剣 1本
鉄鎌 1本 鉄製刀子(とうす:小刀のこと) 2本 鉄釶(やりがんな) 1〜2本 |
銅鏃(ぞく:矢尻のこと) 3種47本
鍬先 1個 鉄鎌 1本 鉄斧 1本*2 鉄釶 2本 鉄製品残欠 少量 土師器壺 2個 | |
鉄剣残片 1個(一号棺と二号棺の中間より出土) | |||
墳丘 | 円墳。直径約30m, 高さ約7m。前方後円墳の可能性もある。 | ||
調査 | 昭和34(1959)年1月 主体部を中心とする発掘調査 昭和54(1979)年 地形測量 平成13(2001)年3月 範囲確認調査 |
*1 阿蘇山の噴火によって発生した火砕流が堆積し、高温と圧力によって溶けて固まることによって生成。 *2 現地説明板では、鉄斧頭 二個 |
参考文献 |
|
戻る |
Copyright (c)2004 中の人 All rights reserved. |