3.3 その後の大浦坑
明治16(1883)年に七浦坑が開坑すると、主力の座は七浦坑に譲ることになった。また各種の機能が七浦坑に集約されている。
まず明治23(1890)年、疏水道を七浦まで開鑿し、これ以後、大浦坑の排水は七浦坑が受持つことになる。
明治32(1899)年4月、大浦坑から七浦坑へ運炭する坑外エンドレスロープ機が完成した(市史p.520)。同時に、大浦坑から横須浜までの馬車鉄道が廃止された。これによって、大浦坑で採掘された石炭の選炭作業は七浦坑で行うことになる。
なおこのエンドレスロープは、明治34(1901)年6月2日蒸気動力から電気動力に変更された(市史p.520)。さらに大正6(1917)年8月からは、電気機関車による運転に変更された。
明治35(1902)年2月14日、盤下層の採掘を開始した(市史p.521)。更に、明治39(1906)年には第二坑を開坑している。
しかし、明治後期から大正にかけて新鋭炭坑が新たに開鑿され、比較的非効率となった大浦坑は閉鎖されることになる。まず大正14(1925)年11月に第二坑の採掘が中止され、続いて大正15(1926)年2月7日、第一坑の採掘を中止された。2月9日には閉坑式が挙行され、三池で最初の近代炭坑であった大浦坑は閉坑した。
| 旧坑 | 第一斜坑 | 第二斜坑 |
役割*1*2 | 元は揚炭。 後に人道、排気 | 揚炭・吸気 | 揚炭・吸気 |
開坑*1*2*3*9 | 安政2(1854)年開鑿 安政4(1857)年落成 明治5(1872)年廃抗 明治6(1873)年7月再開坑 | 明治9(1876)年9月12日起工 明治10(1877)年8月28日着炭 明治11(1878)年3月竣工 明治11(1878)年8月操業開始 | 明治38(1905)年6月1日起工 明治39(1906)年1月20日着炭 明治39(1906)年10月開坑 明治40(1907)年4月11日操業開始 |
閉坑*4 | − | 大正15(1926)年2月7日採掘中止 | 大正14(1925)年11月採掘中止 |
大正15(1926)年2月9日閉坑式 |
− | 昭和21(1946)年2月10日再開坑 昭和31(1956)年1月6日再閉坑 | − |
深長*1 | − | 364m | − |
坑形*1*2 | − | 3.03×1.82m | 3.03×1.82m |
排気*5*8 | チャンピオン式電気煽風機 明治35(1902)年8月5日 運転開始 | − | − |
三ッ山竪坑の下に排気用通風爐を設置していたが、旧坑の扇風機設置に伴い廃止。 |
排水*6*7 | 明治23(1890)年に疏水道を七浦まで開鑿し、これ以後は七浦坑より排水 |
*1 田中(1982)p.(33) *2 『三池炭礦案内』p.9 *3 『三池炭礦案内』は第一坑の開坑を明治6(1873)年7月としている。これは高野江(1908)p.199を引き写したものである。明治6年7月とは工部省鉱山寮による経営が始まった時点であるから、鉱山寮が旧坑を採炭開始した年月を示したものであり、新斜坑と混同したのであろう。*4 『大牟田市史』中巻p.619, p.915。田中(1982)p.(33)は大正13年2月廃抗としている。 *5 高野江(1908)p.204 *6 同掲書p.201 *7 本木(1939)p.369 *8『大牟田市史』中巻p.521 *9 『大牟田市史』中巻p.431
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