〜会の趣旨に変えて:会員の体験より〜
20世紀最後の年。さくらの花が満開に近づいたある晴れた日。産業遺産の案内パンフレットを片手に大牟田・荒尾市内を巡る機会がありました。そこで見たものは、さび付いた巨大な機械、崩れた煉瓦壁、廃墟となった社宅、レールがはぎ取られた軌道、放置された神社、高台から見下ろす無縁仏・・・。次々と飛び込んでくるその衝撃的なシーンは、今でも目を閉じると私の脳裏に浮かんできます。
なぜなのでしょうか。
そのまちには、確かに、他のまちには「ない」ものがたくさんあり、珍しかったのかもしれません。しかし、今まで見た、どのまちとも、違う何かを感じました。まちに残された様々な「シーン」を重ねて行くたびに、なにかこうこみ上げてくるものを感じたのです。 |
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−三池炭鉱−福岡県大牟田市、熊本県荒尾市にまたがる日本最大の産出量を誇った炭鉱。かつては20万人がこのまちで働き、1997年廃坑となってから今では合計6万人の人々がこのまちを去っている。地下には数百メートル下に、網目状に坑道がはしり、遠く海の底まで続いている。ふれられない囚人労働、400人を超える死者を出した大爆発、はげしい労働争議・・・。
「まちを巡って受けた感覚はこういうことだったのか。」
資料を調べれば調べるほど、その思いは増していきました。そう自分が感じたあの思いは、そこに生きた人々のエネルギーがひしひしと伝わってきたからに他ならなかったのです。そして「これが日本を支えたまちなんだ」という実感がこみ上げてきました。
しかしながら、まちを巡って、同時に驚いたのは、それらの象徴ともいえる産業遺産と呼ばれる炭鉱施設達は、マップには載っているが、現地には案内板一つ無い。そして、ほとんどが放置されて崩壊しつつあることでした。さらに、まちに住む人々の感覚を耳にしたときには愕然としました。
「企業城下町という性格上、企業に対して問題となるようなことは、誰も言わないし、歴史に触れられたくないという声が多いんだよ」
日本を築いた都市。20世紀を担ってきたまち。それは、このまちの歴史を築いてきた人々のたゆまない努力と、多くの尊い命の上に成り立っているのだと思います。これらの歴史を語る施設、風景を「ないがしろ」にすることは、この地に眠る多くの方々に対して、大変な仕打ちではないでしょうか。私たちは、これらの施設や風景、そして人々の思いが、まちの人々に愛されながら、地域とともにいきるものとして後世に残すべきだと思います。
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私たちの活動が、大牟田・荒尾の内外を問わず、広く人々の価値観を転換するきっかけになればと思います。
私たちの目標は、「炭鉱のまちの風景・心象」が次世代に継承されていくことです。
この目標に向かって、私たちは、大牟田市、荒尾市及びその周辺に残る三池炭鉱関連施設の保存および活用を通じたまちづくり活動を行いたいと考えています。 |
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2001年吉日 |
なお、大牟田市に育った方で、同じような体験をされている方がすでにいらっしゃいます。以下の図書をご覧ください。著者は執筆当時高校生の方です。地元大牟田市に眠る史実にふとしたことから興味を抱き、探索を通して、町の本当の姿を発見していくという体験記です。
是非一度、読んでいただければ私どもの思いを感じていただけるかと思います。書店にはほとんど見かけませんので、全国の図書館か葦書房までお問い合わせいただけると手にはいると思います。
中川雅子 『見知らぬわが町1995真夏の廃坑』 葦書房 1996 税別1000円
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